掲載日: 2024/10/03
掲載日: 2024/12/20
掲載日: 2020/10/30
金沢城の北東、東茶屋を抜けたところに鎮座しています。 養老2年(718年)、佐和田川(今の浅野川)近辺の小丘から出た古鏡の裏面に、卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、多聞天社と称して創建されました。 更に年月を経て、加賀藩初代藩主・前田利家公の神霊を祀り、代々藩主の祈祷所として崇敬されてきました。
明治元年(1868年)の戊辰戦争において旧加賀藩の108名が戦死し、その戦没者を祀るために、明治3年(1870年)卯辰山に招魂社が造営されました。 以来、西南戦争、日清・日露の両戦争、日中戦争、大東亜戦争までの英霊44,832柱を合わせ祀ってあります。昭和10年(1935年)に現在地に遷座され、昭和14年(1939年)に社名が現在の石川護國神社と改称されました。 金運アップのご利益があるという噂です。
兼六園の南南東に隣接している神社です。加賀藩11代藩主・前田治脩が寛政6年(1794)に、藩校「明倫堂」を建て、その鎮守社として加賀藩主・前田家の先祖といわれている菅原道真公を御祭神として創建されました。金沢市民の間では学業の神様として知られ、境内には数多くの合格祈願の絵馬が奉納されています。 境内には金沢という地名の由来である金城霊沢(きんじょうれいたく)と呼ばれる小さな泉があり、案内板には「昔、芋掘藤五郎がこの泉で砂金を洗い、『金洗沢』と呼ばれていました。 これが金沢の地名の起りである」と記されています。
金沢城の南、兼六園の真弓坂口に鎮座する金沢最古の神社です。古墳時代(547年)に草創され、当初は三輪神社と号しました。奈良時代には神仏習合となり石浦山慈光院長谷寺と改められ、 江戸時代には石浦山王、石浦大権現などと様々な名を称しましたが、明治の神仏分離令により石浦郷の地名をとり石浦神社と改称しました。金沢21世紀美術館の近くにあることから、多くの人が訪れる人気のパワースポットです。
金沢城の西に隣接して鎮座しています。前田利家公と正室のおまつの方を御祭神として廃藩置県後の明治6年(1873年)に創建されました。 特に、色鮮やかなステンドグラスがあしらわれた神門(国の重要文化財に指定)が市民から親しまれており、利家公にあやかり“勝負運に強い”とされることも相まって、新年の初詣では金沢の神社仏閣で最も多い参拝者を集めています。
金沢城の北西に鎮座しています。寛永20年(1643年)に東照権現社として金沢城北の丸内に創建されました。徳川家康を祀った神社として、江戸時代には「金沢城の江戸」「北陸の日光」などと称されました。明治11年(1878年)に城内から現在の位置に遷座されました。本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀が重要文化財に指定されています。
体験会場は金箔工芸品などで有名な“箔一”の本店「箔巧館」です。お店の中は工芸品の販売だけではなく、金箔の製造工程をわかりやすく展示してあったり、箔貼りや箔移しの体験をしたりと、金箔について学んで、観て、触れることが出来る体感型ミュージアムになっています。
アトリエで「箔移し」体験 金箔製造の最後の工程。竹の枠とはさみを使って金箔を正方形に切りそろえます。金箔は、息を吹きかけるだけで飛んで行ってしまいそうなものなので、慎重に行う必要があります。
金箔を使って器に絵付けをします。この工程では型紙を使って筆などで丁寧に糊付けをし、その上から金箔を貼り付けます。皺が出ないよう慎重に行います。完成した器や盆は記念に持ち帰ることが出来ます。
掲載日: 2017/12/22
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