掲載日: 2024/10/07
掲載日: 2024/12/20
掲載日: 2020/10/23
「建礼門(けんれいもん)」 即位の礼など重要な儀式のときに開かれた京都御所の正門。 京都御苑を南から入り北へ進むと見えてくる。
御所の内側から見た「建礼門」
「紫宸殿(ししんでん)」 建礼門を入ると「承明門」の中に見える京都御所で最も格式の高い正殿。 即位の礼をはじめ、「五箇条の御誓文」発布など重要な儀式が執り行われた。 紫宸殿内には即位の礼で使用される「高御座(たかみくら:天皇の御座)」と「御帳台(みちょうだい:皇后の御座)」などの重要な調度品が置かれており、それらは令和元年10月22日の即位の礼でも東京の皇居で使用。
「清涼殿(せいりょうでん)」 天皇の日常の住まいであり、政事・祭事などの重要な儀式が行われた御殿。天正18年にお住まいが御常御殿に移ってからは、主に儀式の際に使用された。 写真の畳を敷いた部分は天皇の日常の御座である「昼御座(ひのおまし)」。
「小御所」(奥)と「御学問所(手前)」 〔小御所〕鎌倉時代に建てられた、将軍や大名などの武家の対面や儀式の際に使用された。明治維新の際の「小御所会議」が行われたことでも有名な場所。 〔御学問所〕慶長18年(1613年)に建てられた御殿。「御読書始」や和歌の会などが行われた。
「御常御殿」 天正18年(1590年)に建てられた天皇のお住まい。
「御池庭」池を中心とした回遊式庭園。
「猿ヶ辻」と御幣を持った猿 京都御所の鬼門に当たる場所に、鬼門を守る日吉山王神社の猿の木像が設置されている。なぜここに猿がいるのかは「魔が去るから」「裏鬼門(丑寅の反対の方角)にあたる申に鬼門を守らせたから」など諸説ある。 幕末の文久3年(1863年)、攘夷派公卿の姉小路公知(あねこうじきんとも)が暗殺された「猿ヶ辻の変」の舞台となった場所。
「蛤御門」 京都御苑の外郭九門の一つで正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」というが、滅多に開くことのなかった門が御所の火災の際に開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたとされる。 幕末の元治元年(1864年)の「蛤御門の変(禁門の変)」では門の周辺が幕府軍と長州藩との激戦地となったことでも有名。現在でも門柱に命中した弾痕を確認することができる。
京都御所・京都御苑案内図
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