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過去の記事
●校友会福井県支部訪問記
掲載日:2006/11/01
校友会福井県支部訪問記
今月は、平成18年9月の「福井県支部会員の集い」の際に訪れた
福井県の一部を事務局の猪口眞美が報告いたします。
ナホトカ号事故
福井県と言えば東尋坊、永平寺、一乗谷、鯖江、越前岬、敦賀、小浜などが有名です。 私はこの福井に過去4、5回訪れたことがあります。 その中で一番印象に残っているのが 1997年 1月 に訪れた時のことです。 覚えていらっしゃるでしょうか? 正月早々、ロシア船籍ナホトカ号が真冬の日本海で座礁し、その船体の一部が東尋坊・雄島近くの海浜自然公園付近に流れ着き、 多量の重油が周辺に流れ出し、甚大な被害が出ました。 その時、ボランティアの一員として参加したのです。
公園周辺には、ガソリンをまき散らしたような異様な臭気が立ちこめており、自衛隊や取材のヘリコプターが飛び回り、騒然とした雰囲気でした。 当時、環境科学科の 高橋賢治先生、学生達と一緒に、油まみれになってバケツで重油を汲み上げました。 私達と同様に、ボランティアで訪れた多くの方々と必死でバケツリレーをしたのが、昨日のことのように思い出されます。 その後、当時の現場に立ち寄ったところ、すっかり整備され見違えるほど美しい海岸線が広がっていました。 周辺を散策してみると、公園の一角に石碑が建てられており、当時の様子、ボランティアの活躍の様子が記されていました。 その碑文を見てホロリとした気持ちになりました。
福の井
JR福井駅を降りて、北へ5分ほど歩くと満々と水をたたえたお堀と、美しい石垣のある福井城址につきます。 この城から南側の足羽川(あすわがわ)近くに柴田勝家が築城した北の庄城跡(柴田公園)があります。 勝家は1583年賤ヶ岳の戦で羽柴秀吉に破れ、お市の方(織田信長の妹)と共に自害し、北の庄城は落城しました。 その後、初代福井藩主である徳川家康の二男・結城秀康によって1601年から新たに、北の庄城のあった場所を含む広大な敷地に威容を誇る福井城が築城されました。 現在、天守閣はなく、城内には福井県庁と県警本部があります。 天守閣のあった近くに「福の井」と呼ばれる小さな古い井戸が残されています。 「福の井」の語源は貴重な水が良く出る井戸であるということに由来するとも言われています。
この周辺の地は以前「北の庄」と呼ばれていましたが、寛永元年(1624年)にこの「福の井」に因んで福居のち福井と改称されたと言う説もあります。
(1) 福井城
(2) 福の井
幾つもの銅像が
福井市内を歩きながら気づいたのはあちこちに銅像があることでした。
(3) は足羽山(あすわやま)に建てられている継体天皇の像
(4) と (5) は北の庄城址(柴田公園)にある柴田勝家とお市の方の像
(6) 市内からはちょっと離れていますが一条滝近くにある佐々木小次郎の像。
小次郎はこの滝で修行をして燕返しの技を会得したと言われる。
(7) 足羽山近くの左内公園にある橋本左内の像
(8) 福井城址中央公園内にあった由利公正(三岡八郎)の像
この他にも結城秀康、松平春嶽、岡倉天心、岡田啓介らの銅像があります。
さて質問です。 この方々はどんな功績を残されたのでしょうか。
(3) 継体天皇の像
(4) 柴田勝家
(5) お市の方の像
(6) 一条滝佐々木小次郎像
(7) 橋本左内像
(8) 由利公正像
スポーツ盆踊り??
(9) マラソン前の体操
(10) 福井マラソン会場図
校友会の翌朝、宿から駅に向かう途中に中央公園を通りかかると、トレーニングパンツ姿の人達が沢山いました。 何事かな? 広場では大勢の人が集まり、軽快な音楽と共に踊っているのです。 でも、ほとんどが男性ばかりです。 その男性達の目線の先にはステージがあり、スタイルの良い美人エアロビクスインストラクターが十数名いるではあーりませんか。 ホホホ オオッ この為か と納得。
実はこの踊り(いや失礼、体操)、福井マラソン大会に参加する方々の準備運動だったのです。
「私も一緒に楽しく」と思いましたが、「取材を優先させなければ」と思い、今回は止めておきました。 (ゴメンナサイ、これは嘘です。 今の体重ではとっても無理でした) ランニングをしている参加者を横目に見ながら、次の取材地へと向かいました。
戦乱の下、興隆と滅亡の跡
福井駅から車で東南へ20分程走ったところに、一乗谷朝倉氏遺跡があります。 一乗谷は初代朝倉孝景が応仁の乱の頃(1471年)本拠を移し、主家である斯波氏や甲斐氏を追放して越前を平定したと言われています。 以後 100余年 にわたり繁栄しました。 しかし、1573年 5代朝倉義景の時、織田信長の軍勢に敗れ、城下町は灰燼に帰してしまいました。 その後、忘れ去られたまま 400年余り 埋もれ続けてきたのです。 昭和初期に発掘されましたが、荒廃していました。 近年の発掘調査の結果、当時の家並みが復元されています。 朝倉義景の館跡に建つ唐門は、一乗谷遺跡独自の風情を醸し出しています。 この唐門は、豊臣秀吉が義景の菩提を弔うために寄進したと伝えられています。 表門の上には、朝倉家の紋である三ツ盛木瓜(みつもりもっこう)、裏側に豊臣の紋の五三の桐があります。 この唐門の軒先にある一対の阿吽の貘(象?)の彫刻が、私には何故か寂しげに見えました。 栄華は夢の如しなのか・・・
(11) 復元家並
(12) 一乗谷朝倉邸
(13) 唐門
(14) 阿吽の象
(12) 一乗谷朝倉邸
(13) 唐門
和紙の里
越前市今立地域は、和紙の里として有名です。 紙の文化博物館、卯立の工芸館、パピルス館などを見てまわりました。 紙の文化博物館には、和紙でできた人形で和紙づくりの工程が示されています。 奥の展示室には風雅な色合いの和紙が飾られていて、その一枚一枚を見ていると、ふと 心が和んでいくようでした。
2階の展示室には、紙の名人達の作品や顔写真などが飾ってありました。
卯立(うだつ)の工芸館とはちょっと変わった名前ですが、「うだつが上がらない」等の慣用句の語源になっているそうです。 「卯立」とは、兎の耳のように壁を立ち上げた珍しい形の屋根を指します。 うだつを上げた家は立派な家とでも言いましょうか。 工芸館の中では和紙づくりの工程が見られます(でも私が訪れた時は昼休みの時間帯だったので誰もいませんでした トホホ)。
和紙は日本画には欠かすことの出来ない重要なものの一つです。 丁度 私が訪れたとき、越前市一周年記念事業として「いまだて芸術館」で平山郁夫展が開催されていたので見に行くことにしました。 奥の細道、安芸など全国各地を訪れた時の風景を描いた作品を中心に展示されていました。 淡い緑の森に浮かぶ神社・仏閣などを見ているだけで気持ちが安らぎます。 どの絵も和紙の持つ柔らかさ、しなやかさ、芯の強さが十分発揮されていました。 平山氏が和紙作りの方々に宛てた書簡も展示されていました。 出口付近でリトグラフの作品が販売されていましたが、『120万円』という価格にびっくり。 充分に心と目の保養をさせていただき、芸術館をあとにしました。
(15) モニュメント
(16) 和紙の製造工程
(17) 平山郁夫展
御食国
「御食国」の読み方わかりますか? 「みけつくに」と読むのだそうです。 小浜は、平安時代の昔から朝廷に食材を納めていたことから、この呼び名がついたそうです。 小浜から京まで 約70km ありますが、冷凍技術の発達した現代と違い、大変な苦労をして運んだことでしょう。 鯖街道で栄えた宿場町もあります。
鯖を使った料理が幾つかあります。 なまぐさ汁(すまし汁に焼き鯖と生姜を入れて煮込んだもの)、〆さば、バッテラ、焼き鯖、へしこ(鯖に塩をふって糠漬けにしたもの)等です。 それと越前そば ふふふ みんな食べてきました。
小浜の名物で私が好きなのは小鯛の笹漬けです。 これは一度食べたら病みつきになりました。 「どれも日本酒に合うなあ」と言うことで、常山(とこやま)酒造の常山(じょうざん)の生酒と、加藤平吉商店の梵(BORN)を呑んでみました。 アア うまい
(18) 小鯛と日本酒
(19) 焼き鯖寿司
(20) 参加者
昼は神社仏閣・遺跡を巡り、夜はネオンの町を巡り、楽しい取材をすることが出来ました。 福井県支部支部長の笈田さん、支部の皆様色々ご配慮ありがとうございました。
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