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●校友会沖縄県宮古・八重山地区訪問記
掲載日:2008/2/06
校友会沖縄県宮古・八重山地区訪問記
昨年9月下旬、校友会沖縄県支部宮古・八重山地区懇親会が行われ、元副校長平松先生と事務局の猪口が訪問いたしました。その時に訪れた宮古島、石垣島、西表島、由布島、竹富島の様子を事務局の猪口が報告いたします。
平成19年9月22日 平松先生と猪口は那覇空港で沖縄県支部長 喜屋武さんと沖縄テレビの辻野さんと合流し、宮古島に向かいました。辻野さんは宮古・八重山地区の両会場でデジタル放送に関する講演会をしていただく予定になっています。
宮古島の空港に降り立つと、真っ先に眩しすぎる程の日差しが私達を迎えてくれました。
空港ロビーには宮古地区の幹事をしていただいている武島さんが迎えに出てきてくださいました。挨拶を終え、早速駐車場へと向かいました。駐車場から振り返って空港の建物を見ると、入り組んだ赤瓦が左右対称に広がってみえ、東南アジアの一空港のような雰囲気が漂っていました。聞いたところによると、この建物は毎年秋になると宮古島や伊良部島などに数千羽から数万羽飛来してくる渡り鳥のサシバをイメージしているとか。
車に乗り込み、最初に向かった先は来間島(くりまじま)でした。ここには日本一長い農道「来間大橋」(1690m)が架けられています。一気に大橋を渡り、高台に登ると眼下に透き通るほどの真っ青な海に湾曲を描きスーッと延びる一本の道がみえ、自然と人工的な工作物が織りなすその鮮やかなコントラストに思わず見とれてしまいました。
次いで、東平安名崎の海岸と灯台に案内していただいた。灯台の麓に広がる青い海と珊瑚礁、灯台の周辺はどこまでも深く青い海が広がっており、岸に近い部分ではごろごろと大きな石が転がっているように見えました。
浜辺に咲く薄紫色の花はハマゴウと呼ばれるクマツヅラ科の植物で、枝葉に芳香があり、古くは香としても用いられたとか。またこの岬は4月になると白いテッポウユリが咲きほこるそうです。
途中「バイオエタノールの実験地」と「地下ダム」の看板が目につきました。
環境省は、沖縄県宮古島において、平成17年10月7日から、バイオエタノール混合ガソリン(E3:既存のガソリンに3%のバイオエタノールを混合する方式)の実車走行試験を開始するとともに、サトウキビ糖蜜からバイオエタノールを生産する設備の建設に着手しました。
この事業は、飼料程度にしか利用されていない沖縄産サトウキビの糖蜜を原料に、燃料用バイオエタノールを高効率で生産する技術を開発し、実証プラントにおいてエタノールを生産するとともに、エタノールを3%混合したガソリン(E3)を製造し、それを用いた実車走行試験を行うものでした。しかし、当初予定していた全島での実施が不可能な事態になり、計画は大幅に後退してしまったそうです。これは、バイオエタノール実験方式と石油元売り会社との思惑が異なることに起因するといわれています。即ち、実験施設で検討している直接混合方式と石油元売り会社が提唱するバイオエタノールの混合割合が少ないETBT方式との違いで、直接混合方式は初期設備投資がかかるものの、施設ができればバイオエタノールの混合量を増加させることが可能ですが、ETBT方式は既存の石油施設をそのまま利用できますが、バイオエタノールの混合割合が少ないので石油元売り会社の利益が大きくなるためということです。今回の計画の後退は既存の企業との難しい問題が見え隠れしているようです。
宮古島の地下ダムは世界初の本格的なものだそうです。地下ダムとは地中に地下水をせき止める壁をつくって地下水を貯留する方式のダムのことを言います。鹿児島県奄美地方や沖縄県は、透水性が高く大きな空隙をもつ琉球石灰岩が広く分布しており、地下ダムに適した地質条件を備えています。
宮古島の地下ダムは、農業用水を貯留するダムとしては日本で初めて建設されたもので、福里地下ダムは平成10年に完成したそうです。
今度、機会があったら、じっくり施設見学をしたいものだと思いました。でも地下だから目に見えないか。
この石は人頭税石(にんとうぜいせき)と呼ばれ、大正10年民俗学者の柳田国男は、この石柱を「ぶばかり石」と称し、「この石で背丈を測って石の高さに達すると税を賦課された」との伝承を紹介しています。今日では「人頭税石」の他に「屋敷神」「陽石」「図根点」など、多くの説が出されているようです。
夕刻、港に参加者が揃ったところで集合写真を撮り、マーレ クルーズ号に乗り込み、いざサンセットクルーズへ。このマーレ クルーズ号の船長さん、実は工学院の卒業生とのこと、予約をした時点では気がつかなかったそうです。
話をしてみると、奥様も同じく工学院の卒業生ということで、またびっくり。世間はわからないものだなと実感しました。乗り込んでから参加者の自己紹介が始まりました。全員の紹介が終わり、辻野さんから宮古地区のデジタル放送への対応と現状を解説していただいた。宮古島へは石垣島から海底ケーブルを使ってデジタル放送が計画されているようです。平成20年に向けて着々と準備が進められているそうですが、実現には多くのお金がかかるとのこと。出席者には電気関係の方も多く、お話の後、具体的な質問も数多く出されましたが、辻野さんは一つ一つに丁寧に応えておりました。
生憎、クルージングが始まる頃は雲が多く、パラパラと小雨もちらつき肝心の美しいサンセット風景は次回のお預けとなりました。
日もとっぷり暮れた頃、「オトーリを回そう」という声、「オトーリ???」そういえば船に乗り込んだ直後、何人かが数本の2リットルほどの大きさのペットボトルに水を入れている様子が目に入りました。
おもむろに一人が立ち上がり、先程のペットボトルからコップに半分ほどの水を入れ、挨拶(口上)を述べ始めました。挨拶が終わるとコップにつがれた水を一気に飲み干し、次の人へ渡しました。コップを受け取った人は、挨拶をした人からコップに水を入れてもらい、一気に飲み干しました。そして、コップはまた次の人へ渡されました。こうして次々とコップが渡され、コップを受け取った人はそれを飲み干すことが続きました。じつは、ペットボトルの中身は水で薄めた泡盛だったのです。
一巡すると今度は先程挨拶をした隣の人が、挨拶(口上)を述べ始めます。こうして延々と飲み回しが続くのです。酒になじんでいる私もこれにはびっくりしました。「無理しなくてもいいよー」と云われましたが・・…時既に遅し。
私はそのまま一気に別の世界へ突入してしまいました………。
でも初対面の方々にもかかわらず大変楽しく飲ませていただきました。
翌日、宮古島から飛行機で石垣島に向かいました。石垣空港からタクシーでホテル日航八重山へ。ホテルで八重山地区幹事の喜舎場さんと合流し、喜舎場さんの車で島内を案内していただくことになりました。最初に立ち寄ったのは石垣焼窯元、石垣島の青い海をガラスの青さで表現し、焼いた粘土との融合は美しいものでした。目の保養をした後、御神岬(おがんみさき)へ向かいました。ここには昭和58年に建てられた石垣御神崎灯台があります。青い海と白き灯台の見事なコントラストにため息が出るほどでした。水色、深い青、白い砂浜に栄える青、緑を帯びた青、透き通る青など、海の色合いがこれほどまでに多様に表現できるとは想像もつきませんでした。
ついで、川平湾へ向かいました。川平公園を抜けるといきなり美しい風景が目の前に広がりました。緑の島、眩しいほどの白い砂浜、エメラルドグリーンから濃いブルーへとグラディエーションをなす海、いっそこのまま美しい自然の中に溶け込んでしまいたい衝動に駆られました。
川平湾をあとにして、途中、米原ビーチを見た後、玉取崎へ向かいました。ハイビスカスの咲く小径を経て小高い展望台に登ると遙か眼下に、平久保半島が望めます。珊瑚礁内湾の白くうすい青と深い外海の濃い青色、境を示す白波が印象的でした。
次に白保に建設予定の新石垣空港の現場を見てきました。立ち見台に上ると工事現場の様子を見ることができます。当初この空港は、白保の海を埋めたてて建設する予定でしたが、世界的な珊瑚の名勝地を破壊するわけにはいかないと反対運動が起こり、紆余曲折を経て、カラ岳陸上に決定したそうです。現在の石垣島空港は滑走路が1500mと短く、中型ジェット機は利用できないので、観光客、貨物ともに積載量に限度があるということです。
新空港が完成すると輸送力はアップして島の経済は発展するという見通しがあります。
開発と環境保護はいつでも相反するものです。しかし、人々が豊かに暮らしていくためには両者の一方を極端に優先させるわけにはいきません。昔から人々は自然を恐れ、自然に敬意を払いながらある程度調和をとって暮らしてきたように思えます。これからもバランスをうまく取っていく必要があると思います。とはいうもののどこが妥協点なのか、私にも良く判りません。しかし一部の人達だけが恩恵に与ることのないようにしたいものです。子孫に大きなツケを残さないために。
そんなことを考えながら空港建設予定地の見学を終え、いったんホテルに引き上げた後、夕刻から懇親会が始まりました。参加者は少なかったものの、楽しい会話で盛り上がりました。しかし、私は昨日の後遺症があり、残念ながら少し早めに引き上げました。
翌朝、ホテルで辻野さんとお別れし、平松先生、喜屋武支部長、猪口の三人は高速フェリーに乗って西表島の船浦港へ向かいました。西表島には石垣島からのフェリーが到着する港が二つあります。ひとつは北側にある船浦港ともう一つは南側にある大浜港です。船浦港への航路は気象条件によっては波が高く、航行が難航することもあるため大浦港へ変更されることもあるそうです。今回は無事到着しましたが、途中大きなうねりをうけ、船はかなり揺れました。
船浦港からレンタカーで浦内橋へ、ここから観光ボートで浦内川(全長39km)を上り、マリュドウの滝へ向かいます。引き潮の時間帯であったため水深が浅く船は速度を落として進みました。両岸にはヒルギ(マングローブ)の森が広がります。河口から約30分、8kmほど進んだところにある軍艦岩と呼ばれる場所で下船し、そこからは徒歩で30分程浦内川自然研究路を歩きます。今回私達が訪れる数日前に接近した台風の影響で研究路には倒木が目立ちました。この台風の最大風速は65mを超えたそうです。
透き通った川には魚が群れをなして泳いでいるのがよく見えました。人が近づいても慌てる様子もありませんでした。この魚はオオグチユゴイ(方言名:ミチュー)と呼ばれ、川で育ち、産卵時には海に下りるそうです。しかし、見かけたのはまだ小さいものです。ヒカゲヒゴやサキシマスオウの生い茂る山道をゆっくり歩いていると足元にちょろちょろと緑色をしたトカゲ(アオカナヘビ)が現れてきました。とてもきれいに見えました。このトカゲは方言でジューミーと呼ばれ、奄美諸島、沖縄諸島などに生息するそうです。登り道、一番元気だったのが70歳を越えている最年長の平松先生でした。さっさと歩き、すぐに姿が見えなくなりました。
途中滝のように水が流れ落ちる場所で小休止してから、さらに続けて歩くこと十数分、高台の休憩所から滝が見下ろせました。 この滝はマリュドウと呼ばれます。マリとはマーリ(廻ること)の意で、ユドウとは(淀み)の意味。即ち、マリュドウとは「丸い淀み」という意味だそうです。吹き出る汗を拭いながら10分ほど休憩したのち、元の道を下っていきました。
迎えに来たボートに乗り、浦内橋の船着き場へ到着。再び車に乗り込み、島の西側にある白浜港へと向かいました。道路はここまでです。ここから西側は道路がありません。その為、手つかずの自然が残されています。有名なイリオモテヤマネコもこの奥の地域で発見されています。昼食をとった後、来た道を引き返し、船浦港先の海中道路へ進みました。海中道路から山手側の奥に、細く一筋の滝が見えました。この滝はピナイサーラ滝と呼ばれ、落差は80m程あるとのこと。ピナイとは「白い髭」、サーラは「滝」という意味だそうです。さらに車を進め西表島温泉につきました。この温泉は日本最南端、かつ最西端の温泉です。露天風呂もありますが、水着着用となっており、私達は水着を持ってきていないので、内風呂に入りました。最果ての地の温泉はとても気持ちが良かったです。
西表島では私達の訪れる4日程前に台風12号が直撃し、島のあちこちで立木が倒れたり、枝が折れたりしており、道路の側溝には木の葉がびっしり積もっていました。また、畑の中にめくれたトタン屋根が転がっているなど、その爪痕があちこちに残されていました。島の東部の海岸線で数百メートルにわたりガードレールが凹んでいました。電柱が折れて、ガードレールに激しくぶつかったものとおもわれます。既に架線は復旧しているものの折れた電柱は凹んだガードレール付近に置かれたままの状態でした。倒れた電柱の数は35本もあったそうです。台風の威力をまざまざと見せつけられました。今回の台風は西表島に被害が集中したのですが、幸いなことに宮古島や石垣島はさほど被害は大きくなく、西表島の災害復旧のために、両島から電気工事士をはじめ工事関係者が優先的に駆けつけた為、島の復旧作業は急ピッチで進んだとのことでした。私たちが西表島に宿泊できるのもこうした方々の努力のお陰と思いました。そんなことを考えつつ、車を走らせました。おっと危ない、道路を横断するクイナの姿が見られました。
西表野生生物保護センターに行く予定でしたが、あいにく定休日でしたので、引き返して由布島へ渡ることにしました。由布島へはのんびりと水牛が引く車に乗っていきましょう。でも、時間が遅くなったため、ぎりぎりセーフで由布島行き最終の水牛車に乗り込みました。一歩一歩のんびりと浅瀬の海を渡ります。途中突然水牛が止まりました。水牛のトイレでした。御者のおじさんが三線(さんしん)を奏でながら島唄を披露してくれました。由布島内は全体が植物園になっていますが、やはり台風の影響で、倒れた木々が何本もあり、枯れた状態のものも多くありました。島内見学もそこそこに由布島からの最終便の水牛車で戻りました。水牛は由布島で飼われているために、私達を降ろすと由布島に引き返します。水牛車が島に戻ると発着所には「ひとけ」がなくなりました。静かになった発着所付近のヒルギの根元に目をやると何やらピョンピョン飛び跳ねるものが見えました。私が近づくと静かになります。こちらが立ち止まってじっとしていると再びピョンピョン跳ねはじめます。よく見るとトビハゼの一種です。静かにしてじっと見ているとかなりの数がピョンピョン出てきました。結構な数でした。
この日は仲間川のほとりの竹盛旅館で泊まりました。この夜、遅くまで喜屋武さんと島の自然のこと、環境のことなどを話し合いました。
翌朝、車で船浦港へ向かい、フェリーで石垣島へ戻り、そこから船を乗り換えて竹富島へ行くことにしました。船着き場で竹富島行きの船の時間待ちをしていたところ、一昨日、懇親会でご一緒した山盛さんと偶然出会いました。彼は仕事で頻繁に竹富島へ行くということでした。今日は島内の電気工事にいくとか。竹富島に渡るとちょっとしたハプニングがありました。
車で島の中心部に向かうとサンゴを積んだ塀と赤瓦の屋根の家並みが見られ、白いサンゴの敷砂に陽が反射してとても眩しく、サングラスがないとまともに目を開けられない状態でした。
島一番の人気のスポットである「あか山丘」に登り、屋根瓦を見下ろしました。昼食を終え、三人でぶらぶらと島内を歩いて廻り、仕事を終えた山盛さんと合流し、島を案内してもらいました。彼は島で行われる踊り舞台の音楽担当をしているそうです。続いて案内してもらったコンドイビーチはマリンスポーツ施設など何もなく、ただ美しい白浜と青い海が広がる海岸です。でもこれだけでも貴重な価値があると思いました。この後、石垣島に戻り、沖縄本島で飛行機を乗り継ぎ羽田に戻りました。なんだか竜宮城から俗世界に戻ったような感じがして、一抹の寂しさを感じました。
今回の旅では、本当に美しい沖縄の海と自然を見ることができました。
自然美と人工物が織りなす調和のとれた美しさも実感しました。しかし、美しいだけが沖縄ではありません。沖縄に関する環境問題も耳にしました。
仲間川のマングローブ倒木問題
珊瑚白化現象
オニヒトデの異常繁殖
サトウキビの絞りかすであるバガスの問題
赤土流出問題
空港建設問題
松枯れの問題
観光客の増加に伴う様々な問題
地球温暖化に伴いこれから起こりうるであろう様々な問題
開発に伴う環境問題
今回つくづく感じたのは
美しい沖縄の海を感ずるのは人
美しい沖縄の海を汚すのも人
美しい沖縄の海を守るのも人 だということを
5年前にBIGINの「島人ぬ宝」という歌を聴いたとき、私は何ともいえぬ感動をおぼえました。その時はなぜだか良く判りませんでした。でも今回、沖縄を訪れることによって気がつきました。それはこの唄が沖縄の自然と島に住む人々の暖かい心を歌いあげているからだということを。
自然とのふれあいの中で、人々が肌でしか感じとることのできない大切なもの、人と人、人と自然との関わり合いをだいじにしたいと思いました。
また近いうちに沖縄を訪れたいと思います。
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