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過去の記事
●トルコ訪問記
掲載日:2007/6/01
トルコ訪問記
今月は、トルコの旅を昨年本校を退職されました
辰巳吉秀先生が報告いたします。
旅立ちです(1日目) 2月7日
11時に成田空港第1旅客ターミナルに到着。 広い空港ロビーで荷物を押しているとアナウンスが流れる。 「トルコ航空51便はコンピュータ故障のため搭乗手続きが何時から出来るか不明です。 次の連絡は後ほど行います」 もしかして、今日は出発できないかと不安がよぎる。 取りあえずは阪急旅行社のカウンターへ行くが時間が早いのでしばらく待つことにする。
12時に添乗員の高瀬由紀子さんが登場、友近似のかわいいお嬢さんで後の自己紹介で25歳と知る。 カウンターで空港税、燃油サーチャージ料、オプショナルツアー代で25400円支払い搭乗券を受け取り、 これからのスケジュールを確認して一時解散となる。 この間も例の故障のアナウンスが続くなか、暫くは吸えないタバコをたて続けに何本か吸い、 免税店では九州の焼酎2本とタバコを1カートン購入して初期準備はすべて完了。 出発予定の14時25分から30分程度の遅れではあったが無事にテイクオフ。 暫くは「コンピュータが大丈夫かな」という不安がつきまとったが、飛行機は無事に一路北に向かい、北海道積丹半島沖で西転してロシア上空に入る。 いよいよ黒海上空からイスタンブル空港を目指して旋回して20時30分到着。
時差は7時間遅れとのことで時計と携帯の時刻を合わせる。 ターンテーブルで荷物をボーイが降ろしてくれた後、抜き打ちの荷物検査を行うという。 「34分の4」の確立なのだが私の荷物も当たり、係員に中身を見せる。 メンバーの女の子は、空けたら閉めるのが大変だからと母親に文句を言っている。 いずれも無事OKが出た後、空港内の銀行でドルをリラに交換する。 トルコ人ガイドのベルカンさん(35歳くらいのハンサムな男性)に誘導され、 これから8日間過ごすベンツの大型観光バスに乗り込み、イスタンブル新市街のヒルトンに向かう。 ドライバーはブルガリア系トルコ人のイスメットさん(50歳ぐらいの”ちょい悪おやじ”風」)。 ヒルトンホテルでは飲み物や電話代がめちゃくちゃ高いとのことで、すぐ近くに7イレブンがあったので早速つまみとミネラル水を買う。 夜間の町を歩くと建物に寄りかかっていた中年の男がトルコ語で何やら話しかけてきた。 聞こえない振りして足早に店に急ぐ。 ミネラル水の関しては、最近のツアーでは上海でもそうでしたが、毎日小さいペットボトルを配るというのが定番で非常に助かる。 日本と違い、レストランでもどこでも無料の水は無く、有料のペットボトルを買うことになる。 トルコの水道水は硬水で、日本人には合わなく下痢をするという。 ヒルトンで「NHKの衛星放送」や「アルジャジーラ放送」のニュースが見れました。 特に「アルジャリーラ」は日本の風物の映像を放映したので、中近東にも日本の現況が紹介され、日本の理解が深まればと期待が感じられました。 またホテルの案内やメニューが日本語表記もされていたので、随分と助かった。
トルコの気候は地域によりかなり異なります。 エーゲ海、地中海地域は冬に雨が多く夏は極端に乾燥する。 内陸部は大陸高原性気候で夏の乾燥が激しい。 無論雪もかなり降る。
国土の大部分を占める中央部は大きな山脈が東西に2本走り、標高はアンカラで850m、東部では1950mある。 東の果てにはアララト山(標高5137m)。
魅惑のイスタンブル(2日目)
ヒルトンでアメリカンブレックファーストの後、出発が遅いのでゆっくりとラウンジでタバコを吸いながら快晴の「ボスポラス海峡」を眺める。 狭い海峡なのに引きも切らずにまるで浦賀水道みたいに貨物船が左右に行きかっている。 同じツアーグループの34人の方々も、時間をもてあまして三々五々集まり、互いに自己紹介や海外旅行暦などを話す。 大半が中高年夫婦や家族連れや母子で私のような一人旅のカメラ親父は毎度のことながら全くいない (~_~)
10時45分にツアーバスは出発し、いよいよイスタンブルの市内観光が始まる。 狭い道路をトラム(路面電車)と共に走り、旧市街地で3世紀に立てられたローマ競技場跡のオベリスクを見学、 ギリシャやエジプトから運ばれたものという。 この広場は「ビザンチン時代」や「オスマン・トルコの時代」に多数の反体制者が処刑された場所という。 その横にあるブルーモスク(スルタン・アフメット1世ジャミー)の入口の門には鎖が下がり、「らくだ」を留めたのだという。 6本の尖塔(ミナーレ)のあるモスクはイスラム世界でもここだけという。 これには逸話があり、14代スルタンの「アフメット1世」が「金(アルトゥン)のミナーレを建てよ」と命じたが、 建築家が6本(アルトゥ)と聞き違えたとのこと・・・。 内部は「象の脚」と呼ばれる太い大理石の円柱で、高さ43メートル、直径30メートルの大ドームを中心に中小のドーム群を支えている。 内部の壁はうすいブールータイルが張られ、巨大なシャンデリアの鉄輪が鎖で天井から下がり、薄暗い室内に多数のステンドグラスから差す光が幻想的である。
昼食はドネルケバブ(スパイスをかけた薄切り肉を金棒に巻いて紡錘状に巻き、回転させながら直火で焼き、うすくそぎ落としたもの) の料理を近くのレストランで食事。 食事時には必ずドリンクの注文から始まります。 添乗員がメニューを見ながら、ラク(ブドウから作られた45度の焼酎、透明だが水で割ると白濁して、 添加のアニスが独特の味を出す)7リラ、ビール6リラ、チャイ(トルコ紅茶)2リラ、水その他の飲み物何リラと各人の注文を取る。 ビールは8から6リラが相場で、1リラは82円ほどになります。 結構観光客値段で、平均月収が4万円ぐらいの現地人には手が届かない値段です。 ビールの名前はエフェスで、これが飲みやすく雑貨屋ではかなり安く販売している。 トルコ料理はこの前行った中国に比べるとどこでも美味しく、特にヨーグルト、チーズ、パンは種類が多く、見たことの無いものが沢山ありました。 「生野菜は水道水で洗っているので危険だ」ということで、出ていても食べなかった。 デザートも果物からケーキまで沢山種類が有り、おばさん達は貪欲にチャレンジ。 トルココーヒーは好評で、豆の産地は問わずに抽出法が大事という。 インスタントコーヒーはネスカフェと呼ぶのがトルコ風とのこと。
食後はボスポラス海峡と金角湾に面した、すぐ近くにあるトプカプ(大砲の門の意味)宮殿へ。 総門を入ると第1庭で左側に焼けて無残な聖イレーネ教会、ここはローマ法王も巡礼にくるという、 アヤソフィアが建てられる前のキリスト教の寺院遺跡。 その先に中門が在り、第2庭が広がる、右には広い厨房や食器展示室(中国の陶磁器が多いが有田焼もシルクロードで来たようだ)が棟を続ける。 左は馬小屋から広大なハーレムの入口が続き、またスルタン争いに負けた王子たちを幽閉した鳥篭と呼ばれた建物もある。 宮殿の広さは最盛期には皇居の2倍あったという。 幸福の門をくぐると第3庭で謁見室、図書館、宝物館が続く、特に宝物館には小さめの卵程の86カラットのダイヤ、 3センチ四方の巨大なエメラルドを2個はめ込んだ黄金の短剣、 金貨8万枚で作った玉座(マイケル・ジャクソンが撮影で使いたいと申し出たが却下されたとのこと) 今でもすごい宝石類だがオスマン・トルコが滅亡した時に、多くの財宝が亡命先のヨーロッパの国に持ち出されたとのこと。
スルタンの妃はロシアから、宗教とは関係なしに連れてこられたという。 侵略した地中海・黒海沿岸の土地では大幅な自治を許し、かなり緩やかな統治であったようだ。 更に奥に進むと第4庭がありここからはボスポラス海峡と金角湾に突き出した庭園になっている。
宮殿の建物を支える円柱は産地により模様の違う大理石を交互に使用し、壁はブルーのタイルで彩られ繊細な文様を描く。 特に目の前のマルマラ海(マーブル海)中は大理石の産地であるが、そこ以外でも各地の山から大理石が切り出されているという。 ガイドによれば金持ちは貴重な木材で貧乏人はどこにでもある石(古代遺跡の石も含めて)で建物を作るという。 よく数年前のアンカラ大地震で壊れなかったものだと感心する。
バスはガラタ塔(ジェノバ人居住区の外壁に作られた物見の塔、その後捕虜収容所や気象観測所)を見ながら2階建てのガラタ橋を渡り、船着場に向かう。 橋の1階はレストランや商店で2階は道路なのだが、どうゆう訳か2階部分から大勢の人が釣りをしている。 いよいよボスポラス海峡クルーズで黒海入口まで向かうが、船を進めてもボスポラスの両岸は老若男女の太公望で鈴なりである。 第1ボスポラス大橋付近から海峡に面して住宅が増え、小さな船着場やプールがある70坪ほどの邸宅が連なる。 最近は売買が表面上禁止されているというが、アラブの富豪が100億円以上出して買うという。 第2ボスポラス大橋は日本企業が建設したもので、第1に比べ費用は高かったが大地震でびくともしなかったそうだ。 それで巨大土木工事は日本に限るとのことで、新旧市街地の渋滞解消の為の第3ルートは海底トンネルとなり、日本の大成建設等が受注して工事を始めている。
3日目以降の旅は、今回のハイライトの一つである「奇岩」や「地下住居」で有名なカッパドキア地方の観光。 その後、コンヤを経て「石灰棚」や「ヒエラポリス遺跡」で有名なパムッカレを訪問。 沢山のローマ時代の遺跡が残る「エフェソス」や「ベルガマ」や「トロイ」を見物して「ダーダネルス海峡」からヨーロッパ大陸に入る。 エピソードが沢山あった楽しい旅のことを書きたいのですが、ここで依頼の枚数になり、残念ですが10日間の愉快な旅の報告は、機会があれば改めて。 取りあえず、ここまでということに。 (T_T)/~~~ アラッハウスマルラドゥク(さようなら)
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