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過去の記事
●兵庫県支部訪問記
掲載日:2007/9/03
兵庫県支部訪問記
今月は、何度か訪れた兵庫県の一部を事務局の猪口眞美が報告いたします。
神戸と言えば横浜、長崎と並んで称される港町で、どこかエキゾチックな趣があり、女性の中では一度は訪れてみたい憧れの地でもあるといわれています。
私は仕事の関係上何度となく神戸を訪れていましたが、いつも日帰りかせいぜい一泊で、慌ただしく往復しているという気がしていました。神戸の中心地が三ノ宮や元町であることも最近知ったくらいです。ご当地の方スミマセンm(_ _)m
でもちょっと待てよ、短い期間とはいえ、何度も訪れているので断片的ではあるものの結構あちこち見ているのではと思い直し、過去の資料や写真を見返しながら神戸を振り返って見ることにしました。
新神戸
初めて神戸を訪れたのは十年以上前になります。新幹線の新神戸駅を降り立ったときの率直な感想は、余り良いイメージはありませんでした。トンネルとトンネルの間の駅で、停車時間も短く、大阪や京都に比べて駅自体もこぢんまりとした雰囲気でした。しかし、改札口を出たところで目に付いたのが大きな樽でした。ん?おおっ と一瞬思いましたが、そうか、神戸と言えば名だたる灘の酒で有名な灘五郷のお膝元だな。宮水が天保11年(1840)に発見されて以来、灘で醸した酒は天下一品と言われ、江戸時代の頃より京の伏見と共に、灘から江戸への下り酒は大変貴重なものだったとか・・…すぐに納得してしまいました。しかし、自称日本酒愛好家としては残念に思うことがあります。今は灘の酒といっても以前ほどの勢いはありません。それというのも、かつて、多くを売るために桶買い、三増酒といった不正まがいが蔓延したのが原因です。
こうした悪弊がもたらした罪は計り知れないな、などと余計な詮索をしてしまいました。
先日(平成19年7月21日)訪れたときは新神戸駅改修工事のためこの酒樽にはお目にかかることはできませんでした。改修工事が終わったら又作るのかな?今度は灘五郷の蔵元をじっくり見てこよう。
震災の記憶
平成7年(1995)1月17日朝方忘れることのできない阪神淡路大震災が起こり、多くの人々が亡くなり、甚大な被害が出ました。私はその数ヶ月後に神戸を訪れたことがあります。ようやく地下鉄も復旧した頃でした。三ノ宮市内でも大丸デパートが大きく崩れていたことが印象深く目に焼き付いています。又、宿泊したホテルも震災の影響で、施設の一部が使えない状態でした。長田地区へ行ったところ一部の建物が残っていたものの、ことごとく焼け野原のような状態を見て改めて被害の甚大さに驚きました。しかし、その後多くの人々の努力が実り、復興はめざましく、数年で見事に以前よりも美しい町並みが整備されました。
神戸市役所の南側に、東遊園地があります。かつて、ここは外国人居留者のための運動場でした。先日、朝方この公園付近を散歩していたら、金色に輝く女性の像が目に付きました。大きな魚の上に乗り、なまめかしい姿につい見とれ、近づいてみると「阪神大震災の記憶」としてパネルが掲示してありました。これによると平成7年1月17日午前5時46分地震発生と同時にこの像は倒れ、女性が手にする時計がその時刻で止まった。当時を忘れないためにそのままここに残してある。と記されていました。ここにも震災の爪痕を見ることができました。
小泉八雲の旧居跡
県立中央労働センターを訪れたとき、フト目にしたのが小泉八雲の旧居跡という碑でした。アレッ?小泉八雲といえば島根の松江中学校や熊本五高で教師をしており、日本文化に造詣が深く「怪談」を著した人だよな。私にとって
小泉八雲=島根(松江)という感覚がありました。何でここにあるのだろうという気がしました。石碑に書かれている文を見てみると、「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本の精神文化や民俗、伝統を心から愛し、― 中略 ― 明治27年に神戸に移り住み、英字新聞「神戸クロニクル」の記者として文筆を振るう傍ら文壇生活に入った。明治29年に帝国大学講師として東京に転居するまでの間、当敷地に居宅を構え、「心」「仏の畑の落穂」などを執筆。小泉八雲と改名し、日本に帰化したのもこの時期である。云々 と記されていました。そうだったのか、知らなかった。この碑を見ながら小泉八雲の奥様、小泉せつの故郷で日本の面影ともいわれる松江の城のお濠や宍道湖の夕景を思い浮かべたりしました。
北野異人館
今回、兵庫県校友会の「会員の集い」の集合時間まで少し時間があるので、新神戸から三ノ宮まで歩いてみようという気になりました。当日は時折霧雨の降る生憎の天候でしたが、そんなことには構わず新神戸を降り立ちました。
目的は北野異人館を見ることでした。駅の真下には川が流れていました。新生田川です。この新神戸駅は昭和47年(1972)3月15日に開業したのですが、諏訪山断層の真上にあるため、地震や地盤の変化に対応できるように、特別な設計がなされているとか、でも私の専門外なので何が特別なのかは分かりません。どなたかお分かりになる方がいたら易しく教えてください。
駅を降りて、ちょっと川沿いに歩き布引橋を渡り、急な上り坂にさしかかるところに新神戸オリエンタルホテル(現:クラウンプラザ神戸)があり、洒落たお店がありました。そこには立ち寄らず、横をすり抜けて坂を登る途中、「イノシシ注意」の張り紙が・…一瞬立ち止まりましたが、まっいいか、仲間だものな(ちなみに私の名前は猪口デス)と気を取り直し、坂道を上り続けました。
すると眼下に神戸の町並みが一望できる場所に出ました。天気が良かったらもっと素晴らしいだろうなと思いつつ、さらにきつい坂を上り下りしていると北野天満宮に辿り着きました。北野異人館の北野という地名はこの北野天満宮に由来するそうです。平安時代の1180年平清盛が京都から福原に都を移そうと考えたとき、京都の北野天神から招霊したのが始まりといわれています。しかし、この福原遷都は未完に終わったといわれています。
それから時代が遙かに下って、1867年1月1日(慶応3年12月7日)に横浜、長崎に遅れること約10年神戸港が開港しました。これに伴い、外国人は日本人とは別に外国人居留地(現旧居留地)に住むことになりました。しかし、外国人が多くなるにつれ、居留地内の住宅が不足したため、政府は居留地以外に、生田川以西から宇治川以東、山麓までの間に外国人の居留を認めました。明治20年頃からこの地に異人館が建ち並ぶようになりました。これが北野異人館の始まりになります。写真は「風見鶏の館」(旧トーマス邸)と呼ばれている建物で、国の重要文化財に指定されています。昭和52年(1977)にNHKの朝の連続ドラマ「風見鶏」の舞台になって以来脚光を浴びるようになったとか。
多くの観光客がここを訪れるようになって、すっかり様変わりしたそうです。私が訪れたときも観光ガイドさんに連れられて、観光客がぞろぞろ歩いていました。あっそうか、私も観光客の一人だった。忘れてた^^)レンガ造りの建物の屋根上にある風見鶏は雄です。雄の風見鶏は魔除けにもなるのだそうです。明治42年にドイツ人建築家によって設計されたものです。風見鶏の館のすぐ前に小さな公園があり、トランペットを奏でる格好をしたユニークな銅像が置かれていました。その下側でなにやら人だかりがしていたのでなんだろうと思って近づいてみたら、若い芸人さんが大道芸を披露していました。その芸人さんが着ている服や雰囲気が小綺麗な周辺の町並みと調和しており、全然違和感はありませんでした。
この公園の西側には美しい薄緑色の建物が見えました。これは萌黄(もえぎ)の館といわれ、神戸のアメリカ総領事館であったH・シャープの邸宅として明治36年(1903)に建てられたものです。寄せ棟造りの木造2階建てです。この建物も国の重要文化財に指定されています。他にも英国館、仏蘭西館(洋館長屋)などありました。
不動坂、異人館通りとあちこち歩いて廻りましたが、暑いことと坂がきついので途中で疲れてしまいました。そこで、最初の予定通り、異人館でもあり、中国料理店でもある東天閣でやや遅い昼食をとることにしました。この建物は明治27年(1894)に建てられ、現存する最古の異人館です。
はじめはドイツ人の私邸でしたが、第二次世界大戦後中国料理店が入店したといわれています。予約はしていなかったのですが、お店の方は感じよく迎えてくれました。店内は重厚な感じですが綺麗にしてありました。店員に案内されて絨毯を敷き詰めた木製の階段を上り、道路の見える場所に座り、汗を拭い、窓から見える風景を眺めつつ美味しい料理をいただきました。(最高の贅沢だ)
南京町
この訪問記で忘れてはならないのがこの町、そう南京町です。横浜の中華街よりは小振りですが、綺麗に整備された町中に入ると日本から突然中国の異空間に迷い込んだかのような感じがします。老舗の中華料理店、人気の饅頭店、服飾店、食材店、店頭での元気な売り子さんの声などなど、何時いっても人通りが多くとても活気に溢れています。朱を基調とした色鮮やかな色彩がとても印象的です。この南京町、その歴史も古く、神戸開港の頃からといわれています。しかし、長い歴史の中には大変な時代もあったようです。特に第二次世界大戦後の荒廃ぶりは酷かったようです。いまでは想像もつきません。
南京町西門近くに校友会兵庫県支部副支部長松本さんの経営する中国茶専門店「彩香(サイシャン)」があります。店内にはカフェ「彩花(アヤカ)」も併設されており、中国茶を売っているだけでなく、飲むこともできます。美人の店員さんが、中国式作法でお茶を入れてくれ、本格的に中国茶の香りと味を存分に味わうことができます。そして、楽しいおしゃべりを。校友会の皆さん神戸に行ったら是非訪問してくださいね。
http://www.cai-xiang.com/
港町神戸
神戸といえば「ミナト」「メリケン波止場」を思い浮かべます。このメリケンとはどういう意味なのかと思ったら、明治の頃この波止場の近くにアメリカ領事館があったことからアメリケン→メリケンとなったとか。ではこの神戸はいつ頃から栄えたのでしょうか?神戸市の資料によれば、奈良時代には「大輪田泊」(おおわだのとまり)と呼ばれ、中国などの国との往来があったようです。さらに平安時代には平清盛が、海外交易を盛んに行って儲け、人工島「経が島(きょうがしま)」を作るなどしたようです。この為、平清盛は海外交易をするのに都合の良いこの地に近い福原に遷都する考えを持ちました。しかし、実現はしなかったようです。鎌倉時代には「兵庫の津」と呼ばれるようになりました。神戸の地名の由来は生田神社に関係があるといわれています。現在、中突堤に神戸ポートタワーが聳え立っています。
世界でも類を見ないユニークなパイプ構造のタワーで、高さ108m、展望台からは周囲が360℃展望できます。眼下に船の帆と波をイメージした外観の「神戸海洋博物館」が見えます。夜はとてもロマンチックな気分に浸れるようです。是非是非今度は夜に来たいと思っています。フト考えました。私は何回来ても何故夜景を見られないのか??
正解は
その時間になると「どこかで飲んで騒いでいる」です。ロマンチックよりサケビタリ(酒浸り)というところでしょうか。
生田神社
ネオン煌めく三ノ宮の繁華街の中に一カ所荘厳な雰囲気を醸し出している場所があります。生田神社です。生田神社といえば今年の2月、あの話題になったお二人の結婚式が行われましたよね。エッ 知らない。あっそうですか。
この神社の主祭神は女性の神様で、稚日女尊(わかひるめのみこと)と申されるそうです。天照皇大神(あまてらすおおみのかみ)の御幼名とも伝えられているとか。今から1800年前に創建されたと伝えられています。造られた当初は現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に祀られていたのですが、799年(延暦18年)の大洪水によって砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊する恐れがあったので、現在の生田の森に移転したと云われています。神戸の地名の由来として、806年(大同元年)の古書によれば、朝廷からこの神社の社領(現在の神戸市中央区一帯)に神地神戸(かんべ)<神社にお供えするお米やお酒等を造る荘園>をいただいたとされています。この神地神戸(かんべ)が中世に紺戸(こんべ)を経て、近年、神戸(こうべ)に変わったというのです。
この神社の元々の御利益は「健康」「長寿」なのですが、昭和13年(1938)の大水害、昭和20年(1945)の大空襲、平成7年(1997)の大震災など何度も被害に遭っていますが、その都度復興されていることから、「蘇(よみがえ)る神」としても崇敬を受けるようになったとか。また、神前での結婚式も多く、祭神が女神であるということもあってか「縁結び」の御利益もあるとされています。
境内にある弁財天の祠の周辺には恋人同士の想いがつづられたハート型の絵馬も数多くありました。また、境内にはお酒の神様(松尾神社)と海の神様(大海神社)も祀られています。奥には鬱蒼とした生田の森があり、樟(クス)の巨木が覆っています。この森は古くから都の多くの貴族が訪れたそうです。また、幾度か合戦の舞台にもなったようです。
世界一の橋
平成17年2月神戸市垂水区舞子と淡路島に架かる橋、明石海峡大橋を見てきました。この橋は橋長3,911m、ケーブルを支える2つの主塔間の長さが1,991mあり、世界一の吊り橋です。ちなみに第2位はデンマークにあるグレートベルト東道路橋で、1,624m、第3位は中国潤揚長江公路大橋で1,490mです。
私はこの美しく且つ世界一の橋を昼間、夕暮れ、夜間と見ることができました。
また、海上約47m、陸地から150mの橋の下に設置された、海上プロムナードに行き、橋の真下から明石海峡を見下ろしてきました。ガラス張りの床の上に立ち、蒼い海を眺めていると足元からゾクゾクしてきました。ウワー コワイ
その海に、白い船体に赤いマークのついた船が見えてきました。はじめ太陽が描かれているのかと思いきや近づいて来ると何とタコの絵でした。さすが明石。
その後、橋の科学館に立ち寄り、係員から橋が造られた経緯や工法、世界に誇る技術、苦労話などを映像や模型を見ながら詳しく説明していただきました。ふと司馬遼太郎の作品「菜の花の沖」の主人公、淡路島出身の高田屋嘉兵衛を思い浮かべ、彼がこれを見たらどんな思いをもつのだろうと考えたりしました。
兵庫県支部の皆様、今後とも色々なところを紹介してください。よろしくお願いいたします。
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