月刊特集記事
過去の記事

 ●【 徳島市散策記 】

掲載日:2012/12/18

今回は徳島市内をめぐり歩いた。
@ アニメの町

徳島阿波踊り空港に降り立つと真っ先に目に入ったのがマンガのキャラクターが描かれた大きな垂れ幕だった。「熱風 徳島阿波踊り」「アニメ映画祭」ちょっと意外。空港内の至る所に大きなアニメキャラの垂れ幕がかけられていた。空港からバスで市内に向かい、徳島駅から歩くこと数分、町のアーケードには「アニメのマチ」の垂れ幕が立ち並び、徳島のアニメを賛美する看板も見られた。でも意外と町中は閑散としていた。9月から10月はじめにかけて行われたイベントの告知のようだった。徳島では数年前から町興しの一環としてアニメ関連のイベントを開催しているとのことだった。

A 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の大灯籠

徳島市勢見町にある金刀比羅神社は「勢見のこんぴらさん」として親しまれている。ここにはかつて栄えていた藍商人が寄贈した大きな石灯籠が聳え立っている。高さ10mで日本最大級のものとか。石段を登った先には陶器できた美しい灯籠もあった。

B 観音寺の仁王像

金刀比羅神社のすぐ脇にある観音寺は阿波西国三十三観音霊場の一番札所として知られ、徳島藩の藩主であり、蜂須賀小六(蜂須賀正勝)の長男である蜂須賀家政が1616年に現在の地に移したと伝えられる。
入口には阿吽の形相をした仁王像が境内に入るものを睨み、仏様をお守りしている。

C 眉山(びざん)周辺の湧き水

徳島の市内を巡って気づいたのは湧き水が多いことだった。錦竜水(きんりょうすい)、瑞巌寺にある鳳翔水、八幡神社境内にある八幡水、春日水、菩薩水など。錦竜水は歴代の徳島藩主がこの水を愛用し、水番所をおいて保護した。水道が普及するはるか以前、この周辺は海に近く、良質な水が得られないためにこれらの湧き水が水売り商人によって運ばれていたとのことである。貴重な水源は今では水量は少ないが、とくしま市民遺産として保存されている。

D 眉山(びざん)

阿波おどり会館からロープウェイに乗って眉山山頂に行った。標高290m弱だが、  古くから市民に親しまれている。山頂には太平洋戦争戦没者を慰霊するパゴダの  仏塔、モラエス館などがある。万葉集に春三月(やよひ)、難波宮に幸(いでま)す時 の歌として「眉(まよ)のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて榜ぐ舟泊(とまり)知らずも」(船王:ふねのおおきみ)と詠われている。天平6年(734年)の作といわれる。「眉の  ように遙かに見える阿波の山 その山を目指して漕ぐ船 停泊する港はどこともしれ ないのだ」と解釈がつけられている。ここから眉山の名称が付けられたといわれる。

E 寺町

徳島市の東に位置し、眉山の麓に位置する。天正13年(1585)に阿波に入国した蜂須賀家政が、城下町の建設にあたり寺院を集めて作った町といわれる。近くに錦竜水がある。静かな佇まいの中に沢山の寺院が集中している。寺町一帯はとくしま市民遺産に指定されている。

F 徳島城跡周辺

徳島城跡の石垣を見てみると大きな石と石の間に小さな石が組み込まれているのがある。また、大きな石同士がきっちりはめ込まれたものもある。これは築城当時のものからと後世に築かれたものが混じっているせいであろう。石垣の色をみると緑色のものが多くみられた。これは「阿波の青石」として有名な緑色片岩とのこと。また、赤石といわれる紅簾片岩も見られた。下乗橋(小見付橋)は城内の掘に架けられた木製の太鼓橋で、殿様の住む御殿への正面出入口にあたり、この橋を渡ると桝形が設けられ石垣や門によって厳重に守られていた。今は石の橋で平らに作られている。鷲の門は、この徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、その造りは脇戸付きの薬医門であった。幕府に鷲を飼うからと申し立て建設したところから鷲の門の名があると伝えられている。 廃藩置県の後、城郭の建造物は取り壊され、唯一残された鷲の門も昭和20年 (1945)7月の徳島大空襲によって焼失したと記されている。
現在の鷲の門は、平成元年(1989)9月27日、徳島市制百周年を記念して、徳島市出身の民間の方から復元寄贈されたものである。ラジオ塔は、昭和の初め、ラジオを普及させるために全国の公園、広場、神社などに設置されたもので、公衆用聴取施設とも呼ばれている。昔の人はここに集まって、ラジオ放送をきいたのだとか。

▲ページの先頭へ

サイトのご利用について