日本の専門教育を切り拓き、技術と人を信じ続けた教育者
学校法人片柳学園創立者 片柳鴻先生ついてご紹介します。

片柳 鴻 (かたやなぎ こう)
片柳鴻先生は、日本工学院をはじめとする片柳学園グループの創立者として、戦後間もない時代から「技術と教育の力で日本の未来をつくる」という強い信念を持ち続けました。
まだテレビ放送が始まる前の1953年に日本テレビ技術学校を創立し、時代に先駆けて実践的な技術者教育を開始。
学生一人ひとりの可能性を深く信じ、現場で役立つ学びを徹底したことで、多くの卒業生が社会で活躍する礎を築きました。
先生の情熱と先見性は、専門学校教育の発展を牽引し、今も片柳学園の理念として受け継がれています。
生涯とあゆみ
1920
|
1947
1920年
(大正9年)
10月8日
栃木県安蘇郡植野村にて生まれる
1935年
(昭和10年)
3月20日
栃木県佐野市植野高等小学校卒業
1938年
(昭和13年)
10月1日
東京芝浦電気株式会社 技術養成所 機械技術課入所
1940年
(昭和15年)
9月1日
東京芝浦電気株式会社 放電管技術課勤務
1941年
(昭和16年)
2月20日
東部62部隊入隊
1944年
(昭和19年)
3月8日
インパール作戦参加(~同年7月3日)
1945年
(昭和20年)
8月15日
戦地(モールメン)にて終戦、その後捕虜生活を送る
1946年
(昭和21年)
6月4日
神奈川県浦賀港にて復員
1947年
(昭和22年)
3月1日
創美学園創設
1953
|
1987
1953年
(昭和28年)
9月15日
日本テレビ技術学校設立
1956年
(昭和31年)
7月10日
日本テレビ技術専門学校と校名改称
学校法人の認可を受け、理事長就任
1964年
(昭和39年)
10月1日
日本電子工学院と校名改称
1976年
(昭和51年)
7月1日
法改正により日本工学院専門学校と校名改称
1981年
(昭和56年)
10月26日
第12回日展第二部(洋画)に初入選
以後18回入選、日展会友
1982年
(昭和57年)
4月1日
日本工学院北海道専門学校を北海道登別市に開校
1986年
(昭和61年)
4月1日
東京工科大学開学
1987年
(昭和62年)
4月1日
日本工学院八王子専門学校開校
2003
|
2019
2003年
(平成15年)
12月1日
蒲田キャンパス再整備開始
2007年
(平成19年)
4月1日
東京工科大学附属日本語学校開校
2016年
(平成28年)
6月30日
蒲田キャンパス再整備完了、片柳アリーナ竣工
2017年
(平成29年)
10月13日
創立70周年記念式典挙行
2019年
(令和元年)
8月15日
永眠 98歳
功績
片柳鴻先生は、専門教育の発展にいち早く取り組み、テレビ・電子・放送・デザインなど、多くの分野で即戦力となる人材を育成しました。
実践的な教育スタイルは業界から高く評価され、日本工学院をはじめとする片柳学園グループは、全国でも有数の専門学校へと成長しました。
また、長年の功績が認められ、1985年に藍綬褒章、2017年に旭日小綬章を受章。
いずれも、教育や産業の発展に貢献した人物だけが受ける賞であり、先生の功績が国から正式に認められた形となりました。

教育理念
片柳鴻先生が掲げた教育の根幹は、学校法人片柳学園の「理想的教育は理想的環境にあり※」という信条に象徴されます。 技術や芸術が社会と調和し、創意工夫を重んじる人材が育つ場をつくること。
現場主義を貫き、「専門力」と「人間力」の両輪で人を育てる教育を実践し続けたその姿勢は、今も多くの卒業生にとってその原点であり、学園の誇りです。
※ 現在は「理想的学びは理想的環境にあり」という表現が用いられている。