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過去の記事
●玉川上水散歩
掲載日:2009/6/04
猪口眞美
平成18年5月新緑の眩しい季節 私は、玉川上水の取水地である多摩川の羽村堰から上水路に沿って歩き始めました。その後毎年、5月のはじめに約10kmずつ歩き、今年、平成21年5月1日4年がかりで玉川上水の終点である四谷大木戸まで約43kmを歩き終えました。その様子の一部を紹介させていただきます。
玉川上水は1653年〜1654年に作られた江戸の用水路で、現在の東京都西部の羽村から四谷大木戸まで武蔵野を掘り割って江戸城や下町に多摩川の水を供給しました。また、水の不足しがちな武蔵野台地に灌漑用水等を供給し、流域周辺にはかりしれない恩恵をもたらしました。上水としての直接の飲用は1901年(明治34年)に廃止されましたが、現在も羽村取水堰から小平監視所までの約12kmが上水路として利用されています。
多摩川羽村取水堰上流付近の風景です。
写真の左側に見えるのは「水制」といって、川の増水時の水の勢いを弱めたりするものです。「聖牛(セイギュウ)」とも呼ばれ、古来から利用されてきたものを復元して設置したものです。木材を組み合わせ、竹で作ったかご(蛇篭:ジャカゴ)に河原の大きな石ころ入れて重石として乗せて使います。
取水堰横の新奥多摩街道脇にある「玉川水神社」は玉川上水が完成した1654年に「水神宮」として祀られました。その敷地内に「玉川上水陣屋跡」もあります。
「玉川水神社」「玉川上水陣屋跡」のすぐ横にある東京都水道局羽村取水所。
多摩川の水を取り入れる取水堰。
余分な水は下部から吐出されます。
取水口部分を下流方向に見たところです。右手は多摩川本流、正面左手が水路になります。
蕩々と水が流れていきます。
上水の開削に尽力した玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)の像。取水堰横にある公園内に設置されています。
周囲を木々に囲まれた水路が続きます。
福生付近の多摩川にある表示。
拝島駅近く、八高線、青梅線に挟まれる位置にある「水喰土(ミズクライド)公園」
公園入り口にある解説板。
再び"とぼとぼ"と新緑の中を歩く。西武国分寺線が上水とクロスする。
上水散歩の地図。
西武拝島線武蔵砂川駅付近に架かる「新家(シンヤ)橋」。
西武拝島線と多摩都市モノレールが交差する玉川上水駅。かわいいモニュメントがありました。
清願院橋より下流方向を見たところです。この下流に小平監視所があり、そこで上水は東村山浄水場へ導入されます。さらにこの付近で野火止用水。新堀用水と分岐されました。
小平監視所から下流はまったく水が流れなくなります。以前は空堀だったのですが、清流を復活させようということで、1986年(昭和61年)東京都の「清流復活事業」により小平監視所以東に水が流れるようになりました。この部分の水は昭島市にある「多摩川上流処理場」からの高度再生水です。
清流復活が認められ、平成12年「甦る水100選」に選ばれ記念して作られた碑、当時の建設大臣扇千景の名が見られます。
「上水小橋」ここは、水面まで降りられる唯一の場所です。
こんなふうに水面近くまで降りられます。
上水路横にある清掃工場の壁面に描かれていたユニークな絵が目に留まりました。とても意義深いことが描かれていました。「植物も動物も人間も、同じように天から命を与えられて生きている・・・・」「でもいつからか人間は同じように命あることや感謝やお祈りを忘れ、欲しいだけ奪うようになってしまった・・・・・・中略」「わたしたちにできることのひとつは、必要をこえて欲しがらないこと、命あるものを大切につかうこと」
ものの大切さをもう一度考えてみる必要を感じました。
小平市付近の流れ。
水路の緑地内に咲いていたホソバオオアマナ。
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